飛生アートコミュニティーのこと
TOBIU ART COMMUNITY
飛生アートコミュニティーとは
飛生アートコミュニティーは、旧飛生小学校を活用して1986年に設立された共同アトリエです。主に作品の制作や展覧会、イベント、プロジェクトなどを開催し、世代を継いで現在まで様々なアーティストが活動を続けてきました。近年は、年に一度校舎やグランド、周囲の森を一般開放して開催する「飛生芸術祭」、森づくりを通じて森と人との共存を考える「飛生の森づくりプロジェクト」を実施するなどアートを通じた交流の場としても機能しています。
飛生地区・飛生小学校の歴史
飛生(とびう)の地名の由来…アイヌ語で「ネマガリダケ(トップ)の多い(ウシ)所(イ)」とされているが、『北海道蝦夷語地名解』には「Tupiu 鳥の名、黒き鳥なり此鳥多きにより名く。」と記されており、二つの解釈がある。
- 1891(明治24)年
- 最初の移住者が入植し、造材業や製炭業、牧場などを営む。
- 1914(大正3)年
- 飛生の奥地に鉱山が発見される。(敷生鉱山)
- 1918(大正7)年
- 第一次世界大戦により敷生鉱山が盛況となり、トロッコ貨車(動力は機関車ではなく農耕馬)の軌道が敷かれる。
- 1920(大正9)年
- 鉄価格が下落し敷生鉱山が休山、軌道は廃止される。
- 1945(昭和20)年
- 戦後の食糧危機を打開するため、政府が「緊急開拓事業実施要領」を策定。
- 1947(昭和22)年
- 東京都開拓団と日鋼開拓団の約30 戸が飛生へ入植。
- 1949(昭和24)年
- 飛生小学校創立、14 人が入学。
- 1960(昭和35)年
- 児童数が最多の34 人となる。
- 1983(昭和58)年
- 北海道より「愛鳥モデル校」の指定を受ける。
- 1986(昭和61)年
- 児童数の減少により飛生小学校が閉校、最後の卒業生4 人が巣立つ(児童数は9 人)。「飛生アートコミュニティー」が創設される。
開校10周年当時の飛生小学校
*飛生アートコミュニティーは、アーティストの制作アトリエですので、イベント時以外の内部のご見学は基本的にはお受けしておりません。